WHOOP_HISTORY

1947年 靴屋の三男坊

創業者である加藤冨士逸(フジイツ)はモノづくりの町、東京蒲田の靴専門店の三男坊として生まれた。 幼いころから靴に囲まれ当然のように靴の世界にのめりこんだ5人兄弟は、 長男は靴専門会社TIPTOP(ティップトップ)、 次男は国内外のブーツ専門会社FRONTIER(フロンティア)を立ち上げ冨士逸も若くして自身の店を構えた。 ほどなく長男の会社TIPTOPに移りバイヤー・MDとなった冨士逸は 目まぐるしく変わる流行の中で一つの思いに行き着くことになる。 「街にはイケてるオヤジが履く靴がない」 婦人靴市場に長く携わる中で紳士靴市場がなかなか拡大しないことに業を煮やした冨士逸は決意する。 「ないなら俺が作る」と。

1985年 whoop'-de-doo'の幕開け

既存の古いスタイルに飽きていた冨士逸はwhoop’-de-doo’ 1stコレクションを皮切りに斬新な靴を次々発表した。 ランダムな柄が型押しされた大きな一枚革を使い全ての模様が違う革靴や、 質感や素材の異なる革を組み合わせたコンビネーションシューズ、 ひび割れたガラス風に加工したレザーシューズ。 まさに、ぶっ飛んだ靴。 当時whoop’-de-doo’は同時期にスタートした浅草婦人靴ブランド・クロスロードの事務所の片隅を間借りしていた。夫婦二人にコクヨの机と電話機一台、まさに裸一貫で始まった。

1987年 株式会社フープディドゥ設立

時代は空前のDCブーム。 夫婦二人でスタートした会社も社員4人、5人と増え、当時DCブランドの登竜門でもあったマルイへの出店が次々に決まっていった。そんな中1987年12月、株式会社フープディドゥとして設立。 whoop’-de-doo’とは英語で「楽しくやろうぜ!お祭り騒ぎ!」の意味を持つ。 ブランドロゴは当初文字だけだったが、他にない特徴、エッジの効いた傾いた雰囲気を求め、冨士逸自らが描いた歌舞伎の「隈取くまどり」を付け加えた。

1990年代 affの設立

90年代に入り当時拡大していたインポートマーケットに目を付けた冨士逸はインポート卸専門会社・aff(アフ)を立ち上げフープディドゥデザイナー兼affのバイヤーとして活躍していくことになる。 今も若者から大人まで絶大な人気を誇るイギリスのブーツブランドも、まだ日本で無名だったころ冨士逸が数多くの別注デザインを手がけ国内独占販売契約を結び後に日本上陸のきっかけになった。 靴業界で著名なブランドから幾度となく工場に招かれ共同で靴づくりを行い、冨士逸が生み出すアイディアは世界中でヒットした。 affオリジナルデザインの「おでこ靴」など、数多くのバリエーションをリリースした。 後のフープディドゥにもその血脈は受け継がれていく事となる。 2002年にaffと統合してからwhoop’-de-doo’は益々勢いを増していく。

2000年代 冨士逸の世界

うまくいっていても常に何かを打ち破りたい、既存の概念を破壊したい、そんな思いを常に抱えていた冨士逸はたびたび口にする言葉があった。 「やっぱぶっ壊してーよな」 いつ行っても黒か茶色の靴が並ぶ靴屋から、アパレルのように四季のある、いつ行っても新しいフェイスが並ぶ靴屋に。 カラフルなデザイン、ステージ衣装のような凝ったヒール靴、鋭いカッティングのつま先や少し可愛さの混じったぶ厚いソール。 デザインだけでなくWAXやクリームを多用し、仕上げに仕上げを重ねた重厚なシューズたちは、まさに冨士逸の言葉を具現化したものだった。 そしてついに、2004年にはwhoop'-de-doo'初の直営店舗である原宿に路面店がオープン。 翌年末には福岡天神店、さらに翌年には大阪南堀江店オープンし続々とフラッグショップを展開していった。 販路も拡大し続け、従来のデザイン性の高い路線に加えてビジネスシューズなども手掛けていくようになる。

2010年代 ブランドコンセプト

冨士逸の探究心は尽きることなく、もともとのオリジナル木型制作に加えオリジナルの革の開発も行われた。 これまでの刺激的なデザインも企画する一方で、最初に履いたその時から「柔らかな履き心地の革靴」と言う真逆のベクトルにも着手した。 「コンセプトがないのがコンセプト」 冨士逸はポリシーのようにこの言葉も常々口にしていた。 一見すると一貫性が無く、ネガティブな表現ともとらえられるが、それは1つのものに執着するのではなく常に破壊を繰り返し、新しいものにトライする姿勢を意味している。 異例ともとれる年2回のメイン展示会にサブ展2回、計4回の展示会で年間120デザイン以上冨士逸本人が手掛けてきた。 その一方で過去の資料がほとんど残っておらず、1stコレクションの靴も、思い入れのある靴も現存しない。 残されたのは、創業当初のコレクションの資料がほんの僅かだけ。 常に新しいものを追い続ける冨士逸のポリシーはこんなところにも顕れている。 売れるか売れないかで靴を創るのではなく、かっこいいと思うから創る。 どこも作らないからwhoop’-de-doo’がやる。ただそれだけなのだ。

2020年~ 変わりゆく世界

2020年以降も新たなモデルを生み出し続けた。 これまでのデザイン性だけでなく着用時の心地よさにフィーチャーした「Comfy Shaborn」。 10代~20代のユーザーを想定し、さらに展開サイズを22.5cm~27.0cmにする事でジェンダーレスにwhoop'-de-doo'を楽しんでもらいたいと、「フープディドゥ(カタカナ表記)」をローンチした。 また一企業としてSDGsの取り組みにも関心を持ち、積極的に再生資材を原料とした素材を積極的に採用し、ファッションのトレンドだけでなく世界の流れも敏感に取り入れた。 激動の2000年代、不況とコロナで世界が混乱に陥っても創造を止めることなく、社員を守り会社を守り創業者として揺るがない姿を見せた。 2022年1月、突然の転倒から入院するその前日まで自身でデザインを手がけていた。 病魔がすでに全身に及んでいた冨士逸は、会社設立35年目の春にこの世を去ることとなった。享年74歳であった。 絶対的な羅針盤をなくした社員はフープディドゥをどうしていくべきか、どこへ進むべきか暗中模索していく中で導き出された答えはひとつ。 加藤冨士逸が遺したwhoop’-de-doo’を自分たちが次世代へとつないでいく。

2212

2022年12月、フープディドゥは35周年を迎える。 創業者に愛と畏敬の念を、そしてこれからも新たな靴を作り続けていくという決意を込めて、 冨士逸が永逝してから見つかった貴重な1stコレクションをオマージュし35周年記念復刻版とともに新ラインを発表する。 ― 2212 Fujiitsu ― 2022年12月、35周年を節目に新たな一歩を踏み出すRestartの決意と加藤冨士逸が創り遺したwhoop’-de-doo’をつなぐ決意を込め、 冨士逸の名を冠して始まる【2212 Fujiitsu】では、復刻版以外にかねてから企画として温めていたハイエンドモデルを発表する。 またwhoop’-de-doo’でも新しい挑戦はしていくつもりだ。 2212 Fujiitsuは、今冬オープンを控える浅草店、whoop’-de-doo’一部店舗、オンライン上で取り扱う。 培ってきた技術やノウハウを盛り込み、新たなステージへと進む。 我々の新たな始まりだ。

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